[葉隠-HAGAKURE-]データベース

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■葉隠-HAGAKURE-検索

  ・「葉隠」(写本一覧)説明
  A list of HAGAKURE copied by Koyama and others

  ・『校註葉隠』(本文 校註者:栗原荒野)説明
  HAGAKURE annotated by KuriharaArano

  ・『校註葉隠』(英訳 翻訳者:西山正廣)説明
  HAGAKURE annotated by KuriharaArano and translated by Nishiyama Masahiro

  ・「葉隠研究」「いま、世界に生きる葉隠」(目次一覧)
  A list of "HAGAKURE" magazines and a special number on the International Symposium in 1992


「葉隠」について

 日本を代表する武士道論の古典である「葉隠」は、戦国の世が遠い昔のこととなり、武士が戦う者としての役割を失い、新しい生き方を見いだすことを求められていた時代に生み出されました。そして、「葉隠」の口述者である山本常朝は、戦国の武士の気概の中に、太平の時代にふさわしい武士のあり方と知恵を見つけだしています。

・「葉隠」成立の時代背景

 田代陣基が山本常朝の草庵を訪れ、「葉隠」が現在知られているような形にまとめ上げられたのは、今から270年程前までのことだと考えられています。
すでに徳川幕府も安定し、六代家宣、七代家継そして八代吉宗が将軍となり、戦国の戦乱も遠い昔とのこととなって、人々が太平の世に慣れきった時代でした。佐賀藩も三代綱茂、四代吉茂が藩主となり、本藩による体制も整えられていました。
 こうした時代の中にあって、戦うことを生業とした武士が、その役割を失い、太平の世のふさわしい武士の新しい生き方と知恵が求められていた時代でもありました。

・「葉隠」の成立

 二代藩主鍋島光茂に忠誠を尽くした常朝は、光茂亡き後、出家して金立山の麓(佐賀市金立町金立)、黒土原の朝陽軒に隠棲していました。
 藩主の祐筆役(書記役)をつとめた田代陣基がその常朝を訪ねたのは、宝永七年(1710)3月のことでした。以後、6年半にわたって、陣基は常朝からさまざまな教訓や古人の遺訓、歴史や伝説、実際にあった話、人物評などを聞き、さらに自分自身で調べてことを加えて、享保元年(1716)9月までにまとめあげました。
なお、陣基自筆の「葉隠」は伝わっておらず、補訂は享保元年以後も続けられたとも考えられています。

・「葉隠」の構成

 「葉隠」は、全11巻からなり、一般に「夜陰の閑談」という序文ではじまります。聞書第一・第二は、陣基が常朝から直接聞いた教訓や実際にあった話、聞書第三は佐賀藩祖直茂に関すること、聞書第四は主に初代藩主勝茂に関すること、聞書第五は主に二代藩主光茂、三代藩主綱茂に関すること、聞書第六は「御国古来の事」、聞書第七・第八・第九は「武勇奉公方、御国諸侍の褒貶」、聞書第十は「他家の噂並びに由緒等」、聞書第十一は「前十冊の内に載せざる事その外」となっています。  つまり、常朝自身の話をまとめた聞書第一・第二と常朝の話をもとに陣基が独自に編さんした聞書第三以降に大きく分かれています。

・「葉隠聞書」の独創性

 「葉隠」が他の武士道論と異なるのは、戦うことを生業とした武士のありのままの姿の中に、太平の世における生き方と知恵を求めようとしたことです。そのことを常朝は、「夜陰の閑談」の中で次のように述べています。
 「御先祖様方の御苦労御慈悲」によって「御家御長久、今が世迄、無雙の御家にて候」
 「国学得心の上にては、餘の道も慰みに承るべき事に候…国学にて不足のこと、一事もこれなく候」
 つまり、佐賀藩の成り立ちや伝統(「国学」)の中にこそ、太平の世において国を治め、家を保ち、民を養う武士の新たな生き方と知恵の根本があると考えました。

・「葉隠」の言葉

 「葉隠」の代表的な言葉には「夜陰の閑談」の中の「四誓願」があります。
 一、武士道に於いておくれ取り申すまじき事。
 一、主君の御用に立つべき事。
 一、親に孝行仕るべき事。
 一、大慈悲を起し人の為になるべき事
 この内容は石田一鼎の著した「要鑑抄」にある「三誓願」や、湛然和尚の「武士は勇気を表にして内心には腹の破るゝほど大慈悲心を持たざれば、家業立たざるものなり。」(聞書第六)という慈悲に対する考えの影響があると考えられます。

・「葉隠」のひろがり

 田代陣基自筆の「葉隠」は、伝わっておらず、奥書には「この始終十一巻はおって火中すべし」と書かれているように、公になることはありませんでしたが、広く佐賀藩の武士たちの間で読み、書き写されてきました。写本は、現在、四十種類以上の存在が知られ、いくつかの系統に分類されています。
 これまでに発見されている写本のなかでも、最も古いものは、文化元年(1804)9月に写し終わった「小山本」(県立図書館所蔵)です。
 「葉隠」が活字化され刊行されたのは、明治39年(1906)、中村郁一の手によって『葉隠』が刊行されてからのことです。

*「葉隠」については、佐賀大学附属図書館ホームページの「貴重書コレクション」に詳しい解説(http://www.dl.saga-u.ac.jp/OgiNabesima/haga.htm)がありますのでそちらもお読みください。